
2021年10月、サウジアラビアとアラブ首長国連邦が相次いでネットゼロ目標を発表しました。長年、気候変動の国際交渉の場で慎重な姿勢を貫いてきたGCC(湾岸協力会議)の産油国が、方針を転換した瞬間です。それから1年余りで、GCC加盟6カ国のうちカタールを除く5カ国がネットゼロを宣言しました。石油とガスの輸出で国家財政を支えてきた国々が、なぜ再生可能エネルギーへ軸足を移したのか。理由は一つではありません。化石燃料からの収入が細れば国家運営の土台そのものが揺らぐという危機感が一つ。脱炭素という世界的な潮流を、経済を作り直す機会に変えようとする狙いがもう一つです。この二つの動機がせめぎ合う中、電力網という現場のインフラは新たな宿題を突きつけられています。

AI Generated Image of an aerial view of a massive concentrated solar power plant in the Arabian Desert, with mirrored heliostats arranged in concentric rings around a central solar tower under crisp morning light, symbolizing the scale of renewable energy expansion reshaping Gulf power grids
GCC(湾岸協力会議)は、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、クウェート、オマーン、カタール、バーレーンの6カ国で構成されています。この6カ国は長年、気候変動枠組条約締約国会議(COP)の交渉の場で、脱炭素化に慎重な立場を取り続けてきました。産油国として、化石燃料の需要を抑える国際合意には距離を置く姿勢が目立っていたのです。
その空気が変わったのが2021年です。10月にサウジアラビアとUAEが相次いでネットゼロ目標を発表すると、翌年にかけてカタールを除く5カ国がネットゼロを宣言しました。COPの場で慎重論を唱えてきた国々が、わずか1年余りで気候変動対策を後押しする側に回ったことになります。
中東の気候変動政策を専門とするルオミ氏は、GCC諸国が2010年代からパリ協定への批准や国際再生可能エネルギー機関(IRENA)の誘致を通じて、国際的な気候変動対策に関わってきたと指摘します。投資家が気候変動リスクに注目し始めたこと、そして先進国が相次いでネットゼロ目標を掲げたこと。こうした国際的な流れを受けて、2020年ごろからGCC諸国の中で気候変動対策への機運が一段と高まったといいます。
ただし、この転換は単純な環境意識の高まりだけでは説明できません。GCC諸国にとって気候変動対策は、経済的な危機であると同時に機会でもあるからです。COP28で合意された「化石燃料からの移行」が現実に進めば、産油ガス国の財政を支えてきた石油・天然ガス収入は縮小します。国家が得た富を国民に配分することで体制を維持してきたレンティア国家の仕組みは、その土台から揺らぐことになります。
一方でGCC諸国は、パリ協定における「各国が定める貢献」の中で、持続可能性と経済開発の両立を一貫して強調してきました。石油依存からの脱却と経済の多角化を進め、国家収入を雇用創出や非石油産業の育成に振り向ける。エネルギー分野を軸とした経済へと作り替える「後期レンティア」国家への移行こそが、GCC諸国が気候変動対策に見出す狙いなのです。
| 国 | ネットゼロ目標の状況 |
|---|---|
| サウジアラビア | 2021年10月発表、目標年2060年 |
| UAE | 2021年10月発表、目標年2050年 |
| クウェート、オマーン、バーレーン | 2021〜2022年にかけて発表 |
| カタール | ネットゼロ目標は未発表 |
同じネットゼロでも、サウジアラビアとUAEが描く到達点には10年の開きがあります。サウジアラビアは2060年、UAEは2050年です。この差は単なるスケジュールの違いではなく、両国が採る戦略そのものの方向性の違いを映し出します。
サウジアラビアが掲げるのは「炭素循環経済」という独自の枠組みです。自らが議長国を務めた2020年のG20リヤド・サミットで提唱したこの概念は、削減、再利用、リサイクル、除去という4つの要素で二酸化炭素を循環利用する構想を描いています。化石燃料を再生可能エネルギーとクリーン水素に置き換えていく欧州主導のエネルギートランジションに対し、化石燃料やCO2そのものは有効利用できるという立場を打ち出した格好です。発表当初、この構想の中身は明確ではありませんでした。しかし2021年以降、サウジ・グリーン・イニシアチブやサウジアラムコのサステナビリティレポートを通じて、再生可能エネルギーや原子力などの代替エネルギー開発、二酸化炭素の回収・利用・貯蔵技術といった具体的な目標が徐々に姿を現しています。
UAEの動きはより早く、より明確です。2017年1月、連邦として初めての統一エネルギー戦略「エネルギー戦略2050」を打ち出しました。当初の計画では、2050年までに電源構成の50%をクリーンエネルギーに転換し、エネルギー効率を40%高めることで、発電由来の二酸化炭素排出を70%削減するとしていました。2023年7月にはネットゼロ目標を踏まえた改訂版がまとまり、2030年に向けた中間目標が加わりました。エネルギー効率の目標は42〜45%に引き上げられ、電気自動車やハイブリッド車の普及率拡大、雇用創出やエネルギー関連支出の削減といった、電力部門を超えた目標も盛り込みました。
興味深いのは、2017年版が定めた電源構成の目標に含まれていたクリーンコール12%が、改訂版では姿を消していることです。ドバイのハッシャン火力発電所が燃料を石炭から天然ガスへ切り替えたことで、UAEの発電計画から石炭という選択肢そのものが外れました。数年単位で目標を書き換えながら進む。それが両国のエネルギー戦略に共通する現実です。
| 項目 | 2017年版 | 2023年改訂版 |
|---|---|---|
| クリーンエネルギー比率(2050年目標) | 電源構成の50% | 据え置き |
| エネルギー効率向上 | 40% | 42〜45% |
| 発電由来CO2排出削減 | 70% | 据え置き |
| クリーンコール比率 | 12% | 目標から削除 |

AI Generated Image of an extreme macro close-up of a photovoltaic solar panel’s silicon cell surface with silver busbar grid lines and dew droplets catching warm afternoon light, symbolizing the technical complexity of integrating variable solar output into Gulf power grids
再生可能エネルギーの導入ペースには、GCC加盟国の間で差があります。中東研究の専門機関であるMiddle East Institute(MEI)は、湾岸における太陽光発電の規制支援について、国ごとに「リーダー」と「ラガード」が存在すると分析しています。同機関は別の分析で、アラブ湾岸諸国全体では太陽光発電の導入が加速していると論じていますが、その恩恵が域内に均等に広がっているわけではないという含意がここにはあります。
太陽光や風力といった再生可能エネルギーは、発電量が天候や時間帯によって変動します。導入量が増えるほど、電力網の側にはその変動を吸収する仕組みが求められます。単独の国が自国の電力網だけでこれに対応しようとすれば、余剰時の発電を無駄にしたり、不足時に電力が足りなくなったりするリスクが高まります。国境をまたいで電力を融通し合う仕組みがあれば、こうしたリスクは分散できます。
この発想は決して新しいものではありません。世界銀行は2013年12月、「Middle East and North Africa Integration of Electricity Networks in the Arab World」と題する報告書をまとめ、マグレブ地域、マシュリク地域、GCC地域という3つの区分ごとに、需給バランスや発電構成、相互接続の状況を分析しました。報告書は地域統合の目的とその達成への道筋を検討し、統合された電力市場を実現するための長期戦略まで提案しています。
つまり、GCC域内で電力網をつなぎ、一つの市場として機能させようという構想は、再生可能エネルギーが本格的に拡大するはるか前から議論されてきたテーマです。当時は電力の安定供給やコスト効率が主な動機でした。いま、そこに再生可能エネルギーの変動をどう吸収するかという新しい論点が加わっています。10年以上前に提案された長期戦略が、再エネ拡大という新しい文脈の中でどこまで実現されているのか。この問いが、湾岸の産油国が電力網に抱える課題の核心にあります。

AI Generated Image of a ground-level view through a high-voltage electrical substation switchyard in the Gulf desert, rows of transformers and insulator strings receding into an amber dust-storm haze, symbolizing the unresolved challenge of integrating Gulf power grids amid renewable energy expansion
湾岸諸国が置かれた状況について、カーネギー国際平和財団のアイシャ・アル・サリヒ氏は「二重のレンズ」を通して見る必要があると論じています。石油とガスがもたらした富は、この地域を世界でも有数の裕福な経済圏に押し上げました。同時にその富は、気候変動の影響を受けやすい国々が、気温の上昇や水不足、食料の不安定さといった深刻な影響に耐える力も与えてきたのです。豊かさと脆弱さが、同じ資源から生まれている構図です。
化石燃料からの移行は、この構図を根底から揺さぶります。国家財政の柱である石油・ガス収入が細れば、それは同時に、気候変動の影響に対処するための資金力を失うことも意味します。アル・サリヒ氏の分析では、これは湾岸諸国にとって存続に関わりかねない脅威です。豊かさを支えてきた資源そのものが、いま手放しを迫られています。
一方で同じ移行は、湾岸諸国がかねて目指してきた経済の多角化と方向性が一致する機会でもあります。石油やガスに頼らない産業を育てながら、世界的な気候変動対策にも貢献する。脅威と機会という相反する二つの顔を持つのが、湾岸にとってのエネルギー移行の実像です。
2023年のCOP28で採択された最終合意は「化石燃料からの移行」という文言を明記しました。石油と天然ガスへの長期的な依存はもはや持続可能ではない。この認識が国際社会に広まると同時に、湾岸経済の先行きへの懸念も強まっています。もっとも、湾岸諸国にとって石油価格の変動リスクは今に始まった話ではありません。地政学的な対立や市場需要の変化、そして新型コロナウイルスの流行のような外的ショックにさらされ続けてきた経験から、経済を多角化する必要性はすでに長く認識されてきました。COP28の合意は、その認識をあらためて突きつけたに過ぎません。
湾岸諸国のエネルギー戦略は、国際的な気候交渉の動きと切り離せません。2022年11月に開催されたCOP27(シャルム・エル・シェイク気候変動会議)では、気候変動の悪影響に対して脆弱な国々を支援する「損失と損害」基金の創設で初期合意がまとまりました。基金への資金拠出や運用ルールはまだ定まっていません。それでも、公正な形でエネルギー移行を進める一歩と受け止められています。同じ月のG20サミットでは、インドネシアのエネルギー移行を加速するパートナーシップも発表されました。
ただし、こうした個別の進展にもかかわらず、排出削減に向けた各国の公約は、前年とほぼ同じ水準にとどまっているのが実情です。ウクライナでの戦争は地政学的な緊張を高め、パンデミック後の世界経済が抱える課題をさらに複雑にしました。この1年に起きた出来事は、世界のほぼすべての国にとって、エネルギーの安定供給と手頃な価格をどう確保するかという懸念を改めて呼び起こしています。
こうした懸念から、2050年までのネットゼロ移行が実現可能なのか、あるいはそもそも望ましいのかを疑問視する声も出てきました。エネルギー関連の排出は、世界の温室効果ガス排出全体の80%以上を占めるとされています。短期的なエネルギー安全保障と手頃な価格の確保は、当然向き合うべき課題です。ただ、それだけに気を取られて、気候変動を放置した場合の長期的なリスクへの注意がおろそかになれば、いずれ別の形でしっぺ返しを受けることになります。
湾岸の産油国が置かれているのは、まさにこの綱引きの真っただ中です。化石燃料は依然として頼れる収入源であり、輸出先である各国のエネルギー安定供給にも貢献しています。しかし気候変動対策という長期的な視点に立てば、化石燃料への依存は縮小させていかざるを得ません。世界全体の脱炭素と、自国のエネルギー戦略と、電力網という現場の設備。この三つをどう同時に成り立たせるかが、湾岸の産油国に突きつけられた宿題です。

AI Generated Image of an industrial gas flare stack burning with a tall amber flame against a deep indigo blue-hour sky at a Gulf oil refinery, symbolizing the region’s tug-of-war between short-term fossil fuel dependence and long-term decarbonization commitments
サウジアラビアとUAEが2021年にネットゼロを掲げてから、5年に満たない時間が過ぎました。この間、両国はそれぞれ異なる道筋で脱炭素の設計図を描き、太陽光発電の導入をめぐっては域内でも足並みに差が生まれています。電力網を国境を越えてつなぐという構想は、世界銀行が2013年に長期戦略を提案してからすでに10年以上が経過していますが、再生可能エネルギーの拡大という新しい変数が、この積み残された宿題に別の重みを加えています。石油・ガス収入への依存を減らしながら、その収入で支えてきた国家の仕組みをどう作り替えるか。簡単な問いではありません。COP28が突きつけた「化石燃料からの移行」という一文は、湾岸の産油国にとって、電力網の設計図そのものを描き直す作業の始まりに過ぎないのかもしれません。