
がん治療室の予約を3日後に控えた患者の状態を、システムはすでに予測し始めています。リヤドにあるキング・ファイサル専門病院・研究センターでは、AIが入院から退院までの道のりを先読みする仕組みが動いています。同じ頃、サウジアラビアの街を歩く人々のスマートフォンには、Sehatyという名前のモバイルヘルスアプリが入っています。病院の中では医師がデータを頼りに動き、街では住民がアプリを頼りに健康を管理する。最先端の病院の中と、何百万人もの手のひらの上。この国の医療は今、二つの場所で同時に書き換えられているのです。石油に頼らない国づくりを掲げるビジョン2030の中で、医療の作り替えは経済の多角化と並ぶ大きな柱の一つです。病院の意思決定にAIを組み込み、国民の日々の健康管理をアプリに委ねる。この国が選んだのは、医療の隅々にデジタルを行き渡らせるという道でした。

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経済産業省が2024年にまとめたサウジアラビアのヘルスケア市場に関する報告書によれば、同国の人口は2016年時点で約3100万人、人口成長率は2.8%とG20の中で最も高い水準にありました。人口増加率が高いとされるインドやインドネシアでさえ1.3から1.4%にとどまり、中国は0.5%です。
| 項目 | サウジアラビア | 日本 |
|---|---|---|
| 人口 | 約3100万人 | 1億2700万人 |
| 人口成長率 | 2.8% | 0% |
| 15歳未満の割合 | 26% | 13% |
| 65歳以上の割合 | 3% | 27% |
年齢別の内訳を見ると、15歳未満が26%、15歳から64歳までが71%を占め、65歳以上の高齢者はわずか3%です。日本の65歳以上の割合が27%であることと比べると、この差は歴然としています。若い国であるという事実は、医療政策の設計そのものを変えます。医療費の急増にまだ直面していない今のうちに、生活習慣病や慢性疾患への備えを整える時間が残っているからです。
同じ報告書によると、サウジアラビアの名目GDPは6396億ドル、一人当たり名目GDPは20150ドル、実質GDP成長率は1.4%でした。
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| 名目GDP | 6396億ドル |
| 一人当たり名目GDP | 20150ドル |
| 実質GDP成長率 | 1.4% |
石油収入への依存から抜け出そうとする中で、政府は保健分野を含む幅広い産業の育成に資金を振り向けています。ジェトロは2026年5月、ビジョン2030の進捗が公表されたと伝えました。医療の作り替えは、この中でも国民の生活に最も直接触れる領域の一つです。経産省の報告書には、医療費の支出規模や病床数、医師や看護師の数といった医療提供体制に関する項目も並んでいます。若い人口を抱えながら、将来の医療需要にどう備えるか。この報告書自体が、日本の産業界がサウジアラビアの医療市場に注目し始めていることの表れでもあります。
数字だけを見れば、サウジアラビアの医療制度はまだ発展の途中にあります。しかし若さと資金力という二つの条件が重なったことで、他の国では容易ではない実験がこの国では可能になりました。

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この国のAI活用で先頭を走るのが、リヤドにあるキング・ファイサル専門病院・研究センターです。同病院はAIを使って患者のケアを合理化し、治療後の回復を支え、パーソナライズされた健康教育を通じて家族に力を与えています。この病院がこの分野のリーダー的存在とされる理由は、AIを単発の実験ではなく、患者のケア、回復支援、家族への健康教育という一連の流れの中に組み込んでいる点にあります。
同病院のヘルスケア・インテリジェンス・センターを率いるアフマド・アブサラ博士は、アラブニュースの取材にこう語りました。「起業家にとっても、イノベーターにとっても、組織にとっても、研究者にとっても、今は黄金の時だ。病院では、デジタルトランスフォーメーションの旅に真剣に取り組んでいる」。
この病院の戦略は、ビジョン2030の医療変革プログラムに後押しされたものです。コストの削減、医療へのアクセスの拡大、そして優れたサービスの提供。この三つの目標をすべて、AIが下支えしています。石油収入に頼らずとも成り立つ医療制度を作ること。これがこのプログラムの狙いです。AIはその手段の一つに過ぎませんが、キング・ファイサル専門病院の取り組みは、その手段が実際の現場でどう機能するかを示す具体例になっています。
ただし、アブサラ博士の言葉は楽観一色ではありません。「AIモデルを構築し、それを2、3年維持した後、閉鎖する組織もある。なぜか。価値をもたらさないからです」。新しい技術を導入すること自体は、さほど難しくありません。それを患者の転帰や医療の質に結びつけ続けることこそが、本当の課題だとアブサラ博士は指摘しています。
他の国々でも、医療AIの導入は実証実験の段階にとどまりがちです。予算がついている間だけ動き、担当者が変われば忘れられていく。アブサラ博士が語った2、3年で閉鎖されるAIモデルの話は、決してサウジアラビアだけの現象ではありません。むしろ、この国がその失敗の構図を正面から言葉にしている点にこそ意味があります。技術を入れることと、技術を使い続けることの間には距離があります。

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アブサラ博士が最もインパクトが大きいと語るのが、患者の入院から退院までの道のりを支えるオペレーション・インテリジェンスという仕組みです。このシステムは予測分析を使い、患者に健康状態を知らせ、的を絞った生活習慣の見直しを促します。
「私たちは、がん治療室の予約の3日前に、患者の状況を積極的に予測するシステムを構築しました」とアブサラ博士は説明します。「これにより、医師は転帰を予測し、期待を管理し、必要な場合には早期に介入することができるのです」。
がんの治療は、患者にとっても医師にとっても不確実性との戦いです。予約日になって初めて患者の状態が分かるのでは、対応できる選択肢は限られます。3日前という時間の余白は、決して長くはありませんが、医師が準備を整えるには十分な猶予です。オペレーション・インテリジェンスという名前が示す通り、この仕組みは診断そのものではなく、病院という組織の動き方を変える道具として設計されています。
診察室で患者と向き合う前に、すでに医師の手元には予測データが届いています。予約日を待つだけだった医療は、予約前から始まる医療へと姿を変えつつあります。同病院のAIツールは、医療スタッフの燃え尽きという負担の軽減にも役立てられています。
この病院はさらに、機械の判断だけでなく、ロボットの手も治療に取り入れました。2025年初め、キング・ファイサル専門病院・研究センターは、アボット社が開発した人工心臓ポンプ、HeartMate 3のロボット支援による移植に成功したと発表しています。ロボットが心臓のポンプを届けるという光景は、数年前まで想像しにくいものでした。人間の医師の判断力と、機械の再現性の高さを組み合わせる。同病院が積み重ねているのは、そうした組み合わせの実績です。予測分析からロボット支援手術まで、AIとロボット工学はこの病院のほぼすべての工程に入り込み始めています。

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病院の中だけでなく、国民の日常にもデジタル医療は広がっています。サウジアラビアで使われているモバイルヘルスアプリ、Sehatyはその代表例です。アラブニュースによれば、AIの応用範囲は医療機関や教育機関にとどまらず、健康的な日常習慣を支えるモバイル・フィットネス・アプリにまで及んでいます。
もっとも、アプリを国民に配ることと、国民がそれを使いこなすことの間には距離があります。医学論文データベースPMCに掲載された研究は、Sehatyの利用を妨げている要因を調べています。どれだけ優れた仕組みを設計しても、実際に使われなければ効果は生まれません。この指摘は、アブサラ博士がAIモデルについて語った、価値をもたらさない仕組みは閉鎖されるという言葉とも重なります。
病院という閉じた空間の中でAIを使うことと、何百万人もの国民が使うアプリを機能させることは、規模がまったく違う挑戦です。病院であれば、スタッフへの研修や運用ルールの徹底で対応できます。しかし国民全体が相手となると、年齢や生活環境、スマートフォンの扱いに対する慣れ具合まで、あらゆる差を乗り越える必要があります。
経済産業省がまとめたサウジアラビアのヘルスケア市場に関する報告書には、デジタルヘルスやオンライン診療の主な担い手についての項目が設けられています。医療のデジタル化は、もはや一つのアプリや一つの病院の取り組みではありません。国の医療制度そのものを組み替える動きとして扱われているのです。
Sehatyという名前のアプリが、サウジアラビアの医療改革を象徴する存在として扱われるのは、それが病院の外にある目に見える接点だからです。国民がこのアプリをどれだけ開き、どれだけ使いこなすか。その積み重ねこそが、ビジョン2030の医療変革プログラムが日々の暮らしにどれだけ根づいているかを映す鏡になります。アプリを作ることと、アプリを国民全体に定着させることは、まったく別の挑戦です。Sehatyの利用障壁を調べる研究が存在すること自体が、この国が普及の壁に正面から向き合っている証拠でもあります。

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ジェトロは2026年6月、サウジアラビアの平均寿命が79.7歳に達し、医療改革が進展していると伝えました。この数字は、病院の現場とアプリという二つの取り組みが、統計の上にも表れ始めたことを示しています。
2016年時点で約3100万人だった人口のうち、65歳以上はわずか3%にとどまっていました。高齢化の波が本格的に訪れる前に平均寿命を押し上げられたことは、この国にとって時間を味方につけた成果と言えます。
医療改革の効果を測る物差しは一つではありません。病床の数、医師の数、医療費の支出額。どれも重要な指標ですが、平均寿命はそれらの積み重ねの結果として最終的に表れる数字です。79.7歳という数字の背後には、キング・ファイサル専門病院のようなAIを使った現場の工夫と、Sehatyのような国民向けアプリの両方が重なっています。
経済産業省の資料が示す通り、サウジアラビアの一人当たり名目GDPは20150ドルでした。豊かさの水準だけで見れば、日本やアメリカにはまだ及びません。それでも平均寿命という一つの指標において、この国は着実に歩みを進めています。お金の豊かさと、健康の豊かさは、必ずしも同じ速さでは進まないということでもあります。
数字は嘘をつきません。しかし数字だけでは、どの取り組みがどれだけ寄与したのかまでは語ってくれません。医療改革が国の統計に表れるまでには時間がかかります。79.7歳という数字は、ここ数年だけの努力の結果ではなく、ビジョン2030が掲げられた2016年前後からの積み重ねの上に成り立っていると考えるのが自然です。
病院のオペレーション・インテリジェンスも、国民のスマートフォンに入ったSehatyも、目指す先は同じです。医療をより早く、より正確に、より多くの人に届けること。アブサラ博士が語った「今は黄金の時だ」という言葉は、一つの病院の中だけでなく、この国の医療制度全体に当てはまるものです。
平均寿命79.7歳という数字は、到達点ではなく通過点です。価値をもたらさない仕組みは閉鎖されるというアブサラ博士の指摘は、病院のAIにもSehatyのようなアプリにも共通する課題として残り続けます。石油という一つの資源に頼ってきた国が、医療という誰もが必要とする分野でこれほど具体的な数字を積み上げている。それ自体が、ビジョン2030という計画が単なるスローガンではないことの証明です。
国民の多くが手にする健康アプリが、この先どこまで医療の実態を変えていくのか。その答えは、Sehatyを開くという小さな行動の積み重ねの中に、これから現れてくるはずです。