
2025年11月18日、サウジアラビアの証券取引所で一件の株式公開が始まりました。教育会社のアルマサール・アルシャミル(Almasar Alshamil Education Company)が、発行済み株式の30%にあたる3072万400株を1株19.5サウジリヤルで売り出す、3日間の公募です。この会社はもともと資本金わずか1万リヤルの有限会社として2022年10月に産声を上げました。それがいま資本金10億リヤルを超える株式会社となり、証券市場に姿を現しています。教育を投資商品として扱う動きがサウジで本格化する一方、就学率という物差しで見ると、この国は長い間、隣国UAEの背中を追いかけ続けてきました。オイルマネーが両国に流れ込み始めた1970年代、子どもが学校に通える割合には歴然とした開きがあったのです。

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教育と経済成長の関係を説明する理論はいくつかあります。ハービソンとマイヤーズが1964年に示したマンパワー計画論は、経済発展の段階に応じてどれだけ初等・中等・高等教育を受けた労働力が必要になるかを算出したものです。シュルツやベッカーらの人的資本アプローチは、教育を一種の投資と捉え、個人の生産性を高め所得を向上させることで、国全体の経済発展につながると説明します。資源に乏しい日本が成長できた背景に人的資源があったのと同じ理屈が、産油国にも当てはまります。
國學院大學の細井長氏がまとめた論文「湾岸諸国における教育」は、比較的古くからデータが残るサウジアラビアを例に、就学率の推移を跡づけています。同国の1979年における初等教育の就学率は43.2%でした。男子児童が55.1%、女子児童は31.0%と、男女で24.1ポイントの差がありました。
同じ1979年、UAEの初等教育の就学率は80.9%に達していました。男子児童80.6%、女子児童81.2%と、男女差はほとんどありません。サウジとUAEの間には37.7ポイントの開きがあったことになります。オマーンの1978年の就学率は34.7%、クウェートは同年85.9%でした。豊富な石油収入を得た国が、一様に教育を拡充できたわけではなかったのです。
| 国 | 年 | 初等教育の就学率(全体) | 男子 | 女子 |
|---|---|---|---|---|
| サウジアラビア | 1979年 | 43.2% | 55.1% | 31.0% |
| UAE | 1979年 | 80.9% | 80.6% | 81.2% |
| オマーン | 1978年 | 34.7% | – | – |
| クウェート | 1978年 | 85.9% | – | – |
サウジアラビアが1932年に建国された国であるのに対し、UAEを含む湾岸のその他の国と地域は、イギリスの保護領という立場から第二次世界大戦後に独立しています。統治の形も、近代化に着手する時期も異なっていました。1970年代の石油危機を経て両国とも豊富なオイルマネーを手にしましたが、そこから教育の仕組みをどう組み立てるかという選択で、出発点に差がついたのです。
時間を進めると、両国の差は大きく縮まっています。サウジアラビアの初等教育の就学率は2013年に96.5%まで上昇しました。男子児童95.4%、女子児童97.8%です。1979年には31.0%だった女子の就学率が97.8%まで伸び、男子を上回る水準に達しました。半世紀の間に、男女の順位が入れ替わったことになります。
UAEも同じ時期に98.2%まで伸ばしています。2012年時点で男子児童99.1%、女子児童97.4%です。1979年の37.7ポイントという開きは、2013年前後には1.7ポイントまで縮小しました。就学率という数字だけを見れば、サウジはUAEにほぼ追いついたと言えます。
| 国 | 年 | 初等教育の就学率(全体) | 男子 | 女子 |
|---|---|---|---|---|
| サウジアラビア | 2013年 | 96.5% | 95.4% | 97.8% |
| UAE | 2012年 | 98.2% | 99.1% | 97.4% |
ただし、量が追いついたことと、質が追いついたことは別の話です。OECDが2020年に公表した報告書「Education in Saudi Arabia」は、サウジアラビアがビジョン2030のもとで教育改革を経済の多角化を進める取り組みの最前線に据えていると評価しています。普遍的な教育アクセスの達成では目覚ましい進歩があった一方、質の高い教育の仕組みを実現するにはさらなる改善が必要だとも指摘しました。国際的な学力評価の結果にも、まだ伸びしろがあるという評価です。
就学率の数字が上がりきったあとの湾岸諸国が直面するのは、若年層の雇用というもうひとつの壁です。細井氏の論文は、湾岸諸国に共通する社会課題として若年層の失業問題を挙げ、教育だけが原因ではないとしつつも、教育の質が経済や社会の変化に対応しきれていない面があると分析しています。識字率で見ても、クウェートの15から24歳の識字率は1975年の72.2%から2012年には98.7%まで上がりました。就学率も識字率も、数字の上ではほぼ天井に近づいています。次に問われるのは、その教育が労働市場でどう生きるかという中身です。

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就学率の数字がほぼ並んだいまも、私立教育という市場の育ち方で見ると両国の間には距離があります。PwCが2018年から2019年にかけてまとめた中東教育レポートのUAE編は、UAEを中東地域でより成熟した教育市場のひとつと位置づけ、投資家、教育プロバイダー、そして学生を引きつけ続けていると記しています。
その根拠として挙げられているのが、2017年から2018年のグローバル競争力レポートです。UAEのマクロ経済環境は世界トップ30にランクインし、同地域で最大の海外からの投資の受け入れ先になっていました。政府はフリーゾーンの外でも外国人投資家に100%の会社所有を認める所有法を導入し、10年間の居住ビザという選択肢も設けています。海外の資金と人を、より長く呼び込むための制度づくりです。
こうした環境の中で、教育セクターはプライベートエクイティ各社にとって有望な投資先になりました。中東地域の全セクターの中で、プライベートエクイティによる取引件数は教育セクターが2位という結果が出ています。私立学校の経営やチェーン展開に、金融資本が本格的に入り込んでいる状態です。
もっとも、資金が流れ込むほど市場が単純に拡大するとは限りません。生活費の上昇と付加価値税の導入が教育セクターの成長にどう影響するかは、レポートの時点でまだ見通せていませんでした。ドバイ政府は2018年から2019年の学年度について、K-12の授業料引き上げを凍結し、保護者を守る措置に踏み切っています。この決定は一部の既存投資家に、投資の判断を見直させる動きも招きました。ドバイとアブダビにはそれぞれ、KHDA(Knowledge and Human Development Authority)とADEK(Abu Dhabi Department of Education and Knowledge)という規制の当局があります。教育への投資や学校運営に関わる手続きは、この2つの機関が窓口です。
UAEの私立教育を語るうえで欠かせないのが、自国民であるエミラティの動きです。KHDAがCfBTと共同でまとめた調査報告書「In Search of Good Education」の第2巻は、ドバイの私立学校に通うエミラティ学生の実態だけを取り上げた、2012年発表の報告書です。
目次を見るだけでも、この調査がどれだけ細かく設計されているかが伝わってきます。国籍別の私立学校の生徒数、公立と私立どちらを選んでいるかの内訳、学年ごとの分布、性別ごとの違い、選んでいるカリキュラムの種類、通っている学校の質、支払っている学費の水準、そして地理的にどこに住んでいるかまで、章立てが並んでいます。なぜエミラティの保護者が私立学校を選ぶのかという章もあります。公立校が無償で提供されているにもかかわらず、私立校を選ぶ自国民が一定数存在するという前提のもとで、調査が組まれているのです。
もうひとつ目を引くのは、エミラティ学生の学力についても国際的な学力評価を使って検証している点です。PISA(生徒の学習到達度調査)の結果やカリキュラムによる違い、保護者の教育水準と成績の関係、高等教育への進学状況までが調査の対象に含まれています。無償の公教育があるにもかかわらず、これだけの体制を組んでまで私立学校を選ぶ自国民の動向を追いかけています。教育行政にとって、自国民の私立校進学はもはや無視できない規模になっていました。
PwCの中東教育レポートも、UAEの教育の仕組みを理解するにはエコシステム全体を見る必要があると位置づけ、就学前の教育、K-12、高等教育という3つの段階に分けてエンロールメントの動向と教育の成果を追っています。焦点になっているのは、7つの首長国の中でも規模が大きいドバイとアブダビの2つです。ひとつの国の中でも首長国ごとに規制の設計や市場の育ち方が違うという点は、サウジアラビアのように単一の国の仕組みで教育を統括する国とは異なります。

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その隣で、サウジアラビアは私立教育を資本市場に接続する動きを強めています。象徴的なのが、冒頭で触れたアルマサール・アルシャミル教育会社の上場です。同社は株主が1人だけの非公開の有限会社として、商業登記番号1010831769のもとで運営されてきました。もとは「Amanat Special Education and Care Investments」という名称で、2022年10月6日に資本金1万リヤルの有限会社として設立されています。当時の株主は「Amanat Special Education and Care Holdings Ltd.」という会社1社だけでした。
2024年9月24日、株主は会社を株式会社へと転換することに合意します。現在の資本金は10億2401万3320サウジリヤルで、額面10リヤルの株式1億240万1332株に分かれています。2025年9月29日付で目論見書が発行され、同年11月18日から20日までの3日間、発行済み株式の30%にあたる3072万400株が、1株19.5サウジリヤルで一般の投資家に公開されました。設立からわずか3年で、非公開の有限会社が公開市場に株式を売り出す会社へと姿を変えたことになります。
この動きの背景には、ビジョン2030が掲げる方向性があります。国王サルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール=サウード名義で発表されたビジョン2030の文書は、機会をつくるために教育と研修を惜しまず、雇用政策や健康、住宅などの分野で質の高いサービスを提供すると述べています。経済の成長と収益源を増やす取り組みは、グローバルな投資大国を目指す柱のひとつです。JETROが2020年にまとめたとされる教育産業の投資環境調査も、サウジが掲げるNTP2020という計画が教育セクターに与える影響や、外国人投資家が投資法人を設立する手順、認可を取得する手順まで、参入を後押しする制度の整備状況を詳しく取り上げています。
就学率という量の指標では追いついたサウジアラビアが、次に狙っているのは教育を担う会社そのものを育て、資本市場に載せるという段階です。UAEが先に踏み出した、教育を投資商品として扱う土俵に、サウジもようやく足を踏み入れ始めたところです。
サウジアラビアとUAEの間にあった就学率の差は、1979年の37.7ポイントから2013年前後には1.7ポイントまで縮まりました。数字の上では、両国の教育を受けられる機会はほぼ並んでいます。ただし、私立教育という市場をどこまで育て、資本とどう結びつけるかという点では、まだ距離が残っています。UAEは外資への所有規制を緩め、10年ビザで長期の投資家を呼び込み、プライベートエクイティが教育セクターに流れ込む土壌をつくってきました。ドバイでは、無償の公教育があるにもかかわらず私立校を選ぶ自国民の動きが、行政の調査対象になるほどの規模に育っています。
サウジアラビアはいま、その差を埋めにかかっています。アルマサール・アルシャミルの上場は、株主1人だけの小さな有限会社が3年で資本市場に姿を現した一例にすぎません。ビジョン2030という国の方針のもとで、教育を担う会社をどう育て、どう資本市場に載せていくのか。就学率という量の勝負を終えたサウジアラビアが、次にどこまで踏み込むのか、その答えはまだ出ていません。